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今回は「瓦」と屋根についてです。これまで小生のエッセイでは、屋根のもつ深い魅力について触れてきました。
日本建築の屋根は、その意匠によって建物主の「ステイタス・シンボル」となってきた事実を覚えていらっしゃるでしょうか。たとえば神社の棟飾りでお馴染みの「鰹魚木」は、古代期には宗教的司祭者や政治的・軍事的権力者のみに許された象徴的モチーフでした。近世期、屋根の起りや反り(曲線をえがく屋根)は、腕の良い大工を雇うことのできるオーナーの力の証とされました。現代でもヒノキの皮で葺いた屋根(檜皮葺)は、つくるのに大変手間がかかる(=高価である)ことから、一般的に民家で採用されることはなく、もっぱら社寺仏閣の格を示すバロメータとなっています。これらはある意味で、所有者の社会的地位・財力と、屋根との関係を示す一例ですが、その一方で、「風景をかたちづくる」という点でも、屋根には深い役割が与えられています。
モンスーン気候の日本では、雨や雪を素早く地面に落とすため、木造建築には一般的に傾斜の強い屋根が用いられます。よって屋根は、多くの場合、「建物の視覚的シルエットの約半分を占める要素」となり、アメリカのある著名な建築家をして「日本建築はまるで屋根という傘の下に人々が住んでいるかのようだ」と言わしめた程です。しばしば人里を描いた風景画のモチーフに、民家の「屋並み(屋根が連なるさま)」が取り上げられることからしても、日本の風景における屋根の重要さが認識できると思います。
では日本の屋並みを構成する代表的素材といえば、いったい何になるでしょう?飛騨の白川郷や京都美山の民家なら、茅ということになるかもしれません。しかし、日本全国をおしなべて見れば、やはり「瓦」こそが、近世以降の屋根の主役、ということになると思います。ちなみに建築学科の学生向けの教科書を広げてみると、屋根の章でいちばん最初に紹介されるのは、桟瓦葺の屋根です。
瓦は、言うまでもなく、土を捏ねて窯で焼いて作る窯業製品です。原料となる土は、基本的にその地域のものを使います。陶芸の窯元が日本各地にあるのと同じように、瓦の生産は各地の地場産業として、我々の生活の傍らでひっそりと、そして脈々と息づいてきました。関西の瓦の産地としては、三州瓦(愛知)、美濃瓦(岐阜)、大和瓦(奈良)、八幡瓦(滋賀)、淡路瓦(兵庫)、石州瓦(島根)などが良く知られます。
そこで今回ご紹介するのは、「八幡瓦」で知られる近江八幡多賀町の「かわらミュージアム」です。建築家・出江寛さん設計のこの建物は、日牟礼八幡宮や伝統的建造物群保存地区内にある八幡堀のほとりに、周辺の屋並みに溶け込むように建っています。建物や庭園そのものが瓦をテーマとしたデザインですので、敷地内を散策するだけでも豊かな気分になりますし、ひとたび中に入れば鬼瓦や軒瓦に施された装飾の数々、鬼板師(鬼瓦を作る職人)の技の素晴らしさに圧倒されます。
長い間「いぶし一文字瓦」の代表格として、近江のみならず関西の人里の風景を支えてきた八幡瓦ですが、実のところ産業そのものとしては大きな危機を迎えています。阪神淡路大震災を契機に軽い板金や平板材の需要が伸び、瓦が使われなくなってしまっていることがその原因ですが、現代人が耐震性や軽さだけを追求したあげく、伝統的素材がまたひとつ失われていく現実が目下ここにはあります。日本の代表的な風景としての美しい屋並み、それを支えてきた産業、そして職人達の技術。ひとたび失われてしまえば、二度と取り返すことのできないもの。合理性を追求するあまり、日本人の培ってきた大切な何かを失っていくとしたら何とも寂しい…と考え込んでしまうのは、果たして私だけでしょうか。

エントランスアプローチからはじまり、建物周りの歩道が、すべて瓦で設えられている。瓦の断面を表に見せて埋込み、千変万化するその表情は楽しく、また瓦のいぶし銀の渋さと風化により絶妙な雰囲気を醸し出している。 |
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コンセプトにあるのは、日本の伝統や美意識を建築物の中で表現する心であり、頑固なまでに一貫した伝統美の哲学です。さまざまな形で表現されていますが、そこには日本古来から伝わる伝統的な美しさがあります。 |
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原料の重い粘土の搬入と、瓦製品の搬出に大きな役割を果たした八幡堀の対岸から和の巨匠、出江寛さん設計の瓦の美術館を望む。 |
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